「◯◯が欲しいと思った途端、◯◯を持つ相手、◯◯自体に縛られる」
金や社会的地位、名誉、学歴…人間の欲するモノゴトは沢山存在する。自分自身の手の内に無いから欲するのだが、欲しいと思った途端に縛られる状態になる。
何故自分はその◯◯が欲しいのか?◯◯を手に入れたならば自分は何をしたいのか?が重要な事だが、小さな世界(組織)に身を置き、了見の狭い人間に囲まれるとそのモノ自体にもの凄い価値が有ると集団で錯覚するのだ。現役時代役職に就いていたオヤジが退職後、錯覚に気づいた時の哀れな姿を観る事が有るが、生きている間に気づけて良かったねと思う。
特に現代社会、金というモノに価値が有るという錯覚が世の中に蔓延しているおかげで印刷出来る権限の有る人間の奴隷に成り下がっている事にすら気づく事は無い。うちで飼っている犬の前に金とジャーキーを並べてジャーキーを選ぶ姿は犬に金の価値が解らないのでは無く錯覚に影響されていないだけの事なのだが殆どの人間には解らない話だと思う。本質を理解出来ない人間に何を説いたところで無理無駄なのだ。
社会的地位や立場に対して周囲が尊敬するという出来事もある意味集団の中での錯覚にしか過ぎず、日本国内ならば遡れば鎌倉時代の御成敗式目あたりからの流れを汲んでいる出来事なのだと思っている。思わせた者勝ちなのだ。
錯覚(思い込み)で世の中は回っているのだとつくづく思う。そんなモノゴトの錯覚(思い込み)に価値が有ると信じている間ずっと自分の人生が◯◯を通じて縛られ続ける事になる。
本質を読み解き「最低限生きる他は何も要らない」くらいの意識になれば何に縛られる事も無く心安穏に過ごせる。単純な話だが単純過ぎて理解するまで自分は50年以上かかった。