住職のブログ

「◯◯のせい…」で逃げるな…

先日自分と同世代の方を送らせて頂いた。その方には中学生の子供さんがいた。

通夜の法話の中でその子供に対し、

 

「病気になりたくて病気になる人間はいない…まして特にまだまだ守らないといけない家族がいる人間は病気になりたくなかった。お父さんは決して死にたくて死んだ訳では無い…」

 

 

「これからの自分の人生の中で「お父さんが若くして病気になって死んだせいで今の自分がこうなってしまった…お父さんのせいだ…」なんて自分の人生の言い訳にお父さんを絶対に使うなよ…」

 

 

そんな話をした。

 

 

かつてどうしようもないくらいポンコツだった頃の自分が、死にたくて死んだ訳でも無い若くガンで死んだ実父に自分のポンコツの理由や責任を押し付けていた反省から出た言葉なのだ。

 

 

無論自分のそんな事もまじえて話をした。

 

 

現在(いま)自分が出来ない理由や責任を探せば周囲にいくらでも存在する。

 

 

俗に言う「◯◯のせいで…」ってヤツだ。他に理由や責任を押し付けるのは一番楽だ。

 

 

いくら「◯◯のせいで…」なんて念仏の様に言い続けたところで何一つ変わらない❗️

 

 

目の前の出来事は全て「なるようにしてなった…」だ。

 

 

そこから「なるようになる…」ではなく「なるようにする…」そして「なるようになれる事」を証明していく事が人間として生まれた人生の過ごし方の醍醐味だ。

 

 

生かされている間「なれるようになれる事を証明し続ける事」が先に生まれた人間のつとめだし責任だと思っている。

 

 

悪いが「やりもしない、していない評論家人間」や人生を放棄して「なるようにしかならない」と「何もしていない人間」の言葉に耳を傾ける人生の時間は自分には無いっ❗️(但し自分より若輩者の話は時間を割いてでも訊く)

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