「「自分は人間としてこういう存在で在りたい…」という思念が無いと常に足元がふらつく」
江戸から明治に入りそれまでの過去を否定し西欧文明を一気に取り入れ150年ほど月日が流れ現在に至るが、ここのところの世の中を眺めると徐々に綻び始め、そろそろ限界が来ていると感じる。限界を感じた時は過去に立ち戻り自分自身のモノゴトの観方思考を再構築し直し、自分なりに納得した人間像を創り上げるしか無いと思い身近な存在から遡り自分自身の在り方を再構築する事にした。
身近な存在として、直接ご縁の有った方がどんな系譜を辿り現在の人格を練り上げられてこられたのかを思案する。最近知り合ったO氏。国内海外で事業を展開され帰国後は現在頭山家当主の秘書をされておられる。
以前から個人的に興味を持った諸先輩方々の人格を練り上げられた系譜を書籍で辿るが、故松下幸之助氏や京セラの稲盛氏に影響を与えた故中村天風翁に影響を与えたのが故、頭山満翁という事で不思議と系譜が繋がった。
故、頭山満翁に多大な影響を与えたのは南州翁…南州翁に影響を与えたのは島津斉彬藩主…そこには武士として数百年に渡り世の中の支配階級の意識思想が連綿と連なっているのだ。
江戸時代の士族は総人口の10%くらいが90%の一般人を束ね260年もの間治安を維持してきた事を考えれば学ぶべき思想が無限に存在する。
別に自分は右や左の極端な思想は無い。佛教的、中道のバランスを取る事も知っている。但、佛道の理想のみを語る事などする気も無い。あくまで現代を生きる独りの人間なのだ。あくまで自分の理想とする人間像を創り描きながら自分自身の人生を歩む。個人の人格なんぞは諸々隈無く素養を入れ込み不必要なモノを削がなければ創り上げる事は不可能なのだ。還暦を迎えるまでに完成させねば赤いちゃんちゃんこなんぞ恥ずかしくて着る事は出来ないだろうと思う。
「自分自身の人間として在るべき姿」すら持たず自分を何処に導くつもりなのか?世の中の現世を生きる人間に問う。