宗教法人

来慶山忠暘院

「お前1人を現世生かす為にお日様の光…雨…空気等々無償で与えられているモノゴトが無限に存在する事を自覚する事」令和4年3月7日記

「お前1人を現世生かす為にお日様の光…雨…空気等々無償で与えられているモノゴトが無限に存在する事を自覚する事」令和4年3月7日記

「お前1人を現世生かす為にお日様の光…雨…空気等々無償で与えられているモノゴトが無限に存在する事を自覚する事」

現世自分1人を生かす為にどれだけ沢山の恩恵を無償で頂いているのか自分に対して時々問いかける。無償で頂きながら「当たり前」とするにはあまりに偲び無く思うと何かしらのカタチで世の中に戻さねば…と思うのだ。

人の世を生かされ、他人からの恩を受けても、「有難う❗️」と一瞬感謝はすれど、直ぐにやってくれて当たり前と転換するクズ満開だった自分が、これは人間としてダメだろう…と気づき世話になったと記憶に残る限りの方々に対しひたすら返し始めた。古くは30年以上前、高校時代に借りた金を返すべく先輩を探して返す事も出来たし、恩師に対して現在も心ばかりだが返し続けている。

そんな中、ふと無償でお日様や自然の恵みの恩恵をどれだけ受けてきたのだろうと想いに至った。生まれた愛媛県新居浜市の山や川…転居して多感な時期を過ごした島根県松江市の宍道湖や佐陀川…別に拒絶される事も無く自然の恵みの恩恵を頂いてきた。

現在暮らす横浜でもこの時期ならば陽だまりに座っているだけで暖かさを頂けるのだ。一呼吸、吸い込む酸素だって自分以外の何かが創って下さったモノと考えれば、当たり前過ぎて無償で与えられている自然の恵みに感謝する事を怠ってきた事に愕然としたのだ。

自分1人の生命を現世生かす為に諸々沢山の連なるモノゴトの連鎖の中で支えられているのだ。無償の恵みをひたすら一方的に与えて下さっている存在に対し何かしらお返しをする事が出来るほどの何か力が自分に有る訳では無い事は重々承知なのだ。

唯一無償で与えられている恵みに自分が出来る事は「日々忘れる事無く、心からの感謝」のみだと思っている。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。