「が」…「我」…なんぞ要らない…

よく、自分の事を主体で考える、

 


「「自分が…」の「が」つまりは「我」は要らない…」

 
と話す。

 

 
相手にとって、現在(いま)の自分に何が出来るか?を考える相手を活かす(生かす)為の、

 
「自分に何が…」の「が」はとても大切な事なのだ。

 
世の中を眺めると、諸々詰まってしまう方々は例外無く「我」を出し過ぎた結果が観て取れる。

 

 

勢いが有った会社組織で有っても倒産の憂き目にあうのは権限を握った人間の「我」の結果なのだ。(所詮、どんな大きな組織で有っても個の人間の集合体の延長でしか無い…)

 

 
「仏道を習うというは、自己を忘るる事なり…自己を忘るるというは仏道を習う事なり…」

 

 

なんてかつて祖師と呼ばれる方が遺された言葉が有る。

 

 

その方が創られた組織が永続的に700年以上も残っている事実を想えば、

 

 

「本質を捉える事が出来れば、有る程度残る家族にしても…沢山の人間がかかわる組織も創り上げる事は不可では無い」

 

 

って事なのだ。

 

 

「寺だから可能だ!」

 

 

なんて声も聞こえてきそうだが…

 
「所詮は個人の人間が考えて創ったモノの延長でしかない」

 

 

という事実で有る。

 

 
モノゴトを眺め…

 

 

削いで…

 

 

本質のみを観…

 

 

現在(いま)という時代に合わせて提示する。

 

 

人間の心の本質なんぞ変化しないのだから、基本誰にだって創る事は出来る。

 

 

解らなければ…

 

 

「うちにどうぞいらっしゃいませ!」

 

 

で有る。

 

 

お待ちしております。(笑)

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