「その瞬間その場所で何を学んでいるのかを常に考えながら過ごしてみる」
現在(いま)自分の中には「知っているつもりになっているだけで実はほぼ何も知らない。」という思いが有る。
もっと若い頃に気づけば違った現在が在ったとは思うが生きている間に気づく事が出来た事に感謝なのだ。
24時間振り返ってみると寝ている時間が一番長いが、朝起きて嫁の前ではダンナ…子供の前ではオヤジ…友人と接している間は友人…先方から頼まれた時は法衣を纏い和笑(おしょう)なんぞをやっている。
そんな中でも日常生活時間の割合からして和笑(おしょう)という坊主をやっている時間が長い。(修行時代に高僧と呼ばれる方々の傍付きをさせて頂いた事が有るが、高僧の様な365日24時間坊主は自分には無理と判断したのでやらない…というより出来ない。)
そんな日常生活だが、常にその瞬間その場所で何を学ぶ事が出来るのか?を意識する様にしている。
1つのモノゴトの捉え方も嫁、息子でも差異が有るので「そんな観方、考え方が有るんだ…」と学ばせてもらうし、友人も然り…和笑の立場で法事先の家庭ならば多種多様な職種の方々と出会うので専門的な話を伺う事も有り学ばせて頂ける。法事先で学ばせて頂ける上お布施やお供え物を預かるのだ。釈迦から始まり諸先輩僧侶方々が信用信頼を積み上げて下さったおかげで自分レベルの末孫坊主でも恩恵に預かれる事自体、本当に有り難い事だと常々思う。(自分の勤め先の悪口を言う輩に対してだが、「自宅に居るだけでは体験出来ない学ぶ機会を頂きながら給与として金まで貰いながらアホなのか⁉️」と思うが人それぞれなのだ。)
移動中でも車中から観る風景から細々とした情報が視覚を通じ入ってくるので同じ道を通っても学びが多い…
現世、生かされている間学び続けてもほんのちょっとの事しか学び取れない事は残念に思うが、少しでも学び取り智として蓄えたモノを世の中の役に立つ事として実践出来れば人間として現世に生んで頂いた甲斐も有ると思っている。