「どんな地形で有っても目的地まで流れる水の場所は1本と捉える事が出来れば道筋をつける事は容易い」
自分の場合、何かしらモノゴトを為そうと考えた時、アタマの中に立体的な地図を描き大雑把な道筋をイメージする。単なる行き当たりばったりでは途中、山の頂が見えなくなる事も有るのでアホな自分で有ってもそれくらいの道筋は描く。一般的には目標を定め山の頂を目指し登る様な感覚と思う。
自分の場合だが、全体を立体地図でイメージしても道筋は漠然ととして定められないので、水を垂らしその水の流れを考える。
水は低きに流れるの言葉通り、目標とする頂から水を垂らしても四方に散るだけので、立体地図を天地180°逆さまにする。山の頂は180°ひっくり返せは一番窪んだ場所となるので自分の現在居る場所から水を流せば一番窪んでいる場所に一筋の水の流れの道が出来る。
ここまでがアタマで描く事で後は具現化するべくカラダを使う作業となる。
山の頂きを目指し登るイメージでは日々辛いが、あくまでイメージは坂道を降るのだ。登山をされた方ならば登りより降りの方が気持ちが楽に感じた事が有るハズだ。自分の場合だが苦労して山に登るなんぞ性格からして無理なので、何かしら1つのモノゴトを為す最中は常に降り下りるイメージしか持たない。
その道の途中、崖っぷちに立たされたとしても窪地に向かって進むならば飛べば良い。現代社会、少々崖を飛び降り様が生命までは奪われ無いモノなのだ。
時々、自分がやっている事を観た方から「大変な事を…」なんてお褒めの言葉を頂く事が有るが、自分からすれば降り坂を駆け下りている感覚だから、実は大変でも何でも無い事なのだ。
自分がそんなイメージが出来るのも、幼い頃日暮れどころか真っ暗になるまで毎日泥だらけになりながら夢中でやった外遊びだ。
机上の勉強なんぞ記憶をどんなに手繰っても義務教育最後、中3の夏休み1ヶ月だけしかやった記憶しか出てこない自分の経験上から言わせてもらうならば、生きる上で日本の義務教育部分を押さえさえすれば、先々研究者や専門職に就く気が無いのならば後は不要だと思う。
記憶力のみを評価する現代偏差値重視教育の学歴とやらで人間を飾ったところで、実社会で使えないポンコツばかりが目につく世の中なのだ。(笑)