宗教法人

来慶山忠暘院

「どんな面倒な事に出会って自分にその役割りが巡ってきた事に感謝して片付ける」令和4年2月19日記

「どんな面倒な事に出会って自分にその役割りが巡ってきた事に感謝して片付ける」令和4年2月19日記

「どんな面倒な事に出会って自分にその役割りが巡ってきた事に感謝して片付ける」

横浜に出て来て借家で忠暘院の看板を掲げて寺院運営を始めてから現在に至るまで諸々の出来事が有った。

2年後小さな本院を建立し、宗教法人設立まで0を1にする過程でもだが、現在の別院を含めた敷地面積にまで土地を拡大するに当たり諸々の諸問題にぶち当たってきた。

本院が手狭になったので別院集悠庵を設け周囲の山林畑地の土地を購入してきたが、地権者との折衝、地目が簡単に売買出来ない農地等々、法的にクリアしなければならない事、スポンサーがいる訳でも無く資金面…

問題にぶち当たる度、正直に書けば「生涯食うに困らない状態なのに自分は何の為にやっているのか?」と湧き出す自問と葛藤しながら、「自分に巡ってきた役割り」と納得させながら1つ1つ問題をクリアしやってきた。

そんなクソ面倒な事をやり続け、現在の自分がどういう状態になったかというと…宗教法人の設立や少々複雑な土地の収容案件に関して適切な助言が出来る様になった。周囲の人脈を加味して考えればコンサル会社も設立出来ると思う。(やらないけど…)

自分自身の経験からいえる事は、全ての対峙するモノゴトに対して「面倒と思わず自分がやる順番が巡ってきたと捉えて感謝しながらやる事」という事だ。気がつけば出来る事が増え本質を掴む事が出来れば生業と出来るレベルになる。

別にコロナなんぞの逆風が吹き、現在主としている生業が倒産して飛ぼうが、出来る事が有れば困る事も無く余裕でいられるって事なのだ。(余談として書くが主婦と呼ばれる方が日々こなしている炊事洗濯の家事、管理している家計全般を極めれば起業なんて楽勝で出来ると記しておく。男どもが難しい顔してやっている仕事とは殆どが所詮家庭生活の延長レベルなのだ。だから自分は炊事洗濯、家計等々出来る事は自分でやっている。)

面倒くさいと思い何もやらなければ出来る事は何1つ増えない。何も出来ない人間に大きな役割りなんぞ巡ってくる事も無い。そんな出来るつもりでいた輩が、ちょっとした逆風で実は何も出来ず路頭に迷い、嘆く姿を多々観てきた。

自分から言わせれば「面倒くさい…」と人生舐めて何もせずに来た、思慮の浅さから招いた自業自得という事くらいだ。

残念な結末を迎えるのが嫌ならば面倒くさがらずに何に対しても感謝しながらやり、出来る事を増やしておく事。

解らない人間は逆風にて路頭に迷う。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。