宗教法人

来慶山忠暘院

「まだ現世生かされている自覚が有れば、現況を嘆く事も、他を羨ましく感じる必要も無いと知る事」令和4年4月5日記

「まだ現世生かされている自覚が有れば、現況を嘆く事も、他を羨ましく感じる必要も無いと知る事」令和4年4月5日記

「まだ現世生かされている自覚が有れば、現況を嘆く事も、他を羨ましく感じる必要も無いと知る事」

生かされている間ならば、自分の置かれた環境はいくらでも変化させていける。何故ならばまだ現世生かされている限り変化させる事は不可では無い。

現況を嘆いたところで側で同情し聴いてくれるのは現況を変える気も変える事も出来ない相手なのだ。何故ならば冷静な人間は現況を変える事は本人にしか出来ない事を知っているから聴くだけ時間のムダだと距離をおく。

他を羨ましく思うより羨ましく思う他と自分の何が違うのか?を考える方が先決な事なのだ。

何が違うのかさえ解れば次の対処は出来るが、それすら解らなければ対処のし様も無い。

特に現代人は三流ドラマの見過ぎか何かを成した人間の運の良さ…ズルさ…そんな要因ばかりを見つけようとするが、成して更に持続している人間は運だけを頼りに生きてもいないし、基本ズルはしない人間の割合の方が多い。ズルをして一時的な俗に言う成功を手にしたところで数年後には没落するか、身近に歪んだ不幸を抱える現実が有る。

「何が違うのか?」を観る力を養いながら、それでも判らない時には本人に尋ねてみれば良い。羨ましく感じる様な相手はこちらから筋を通し教えを請えばきちんと教えて下さる人間なのだ。こちらから教えを請うが何も応えてくれないならば羨むほどの対象では無いと判断すれば良い事なのだ。

先ずは嘆いたところで何も変わらない事をしり、羨む対象に対しては謙虚に違いを教えて頂く事を知れば別に生きているならば大した事では無くなる。

それくらいの事なのだ。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。