宗教法人

来慶山忠暘院

「まやかし、錯覚に気づかない限り安穏の日々は来ないと知る事」令和4年4月3日記

「まやかし、錯覚に気づかない限り安穏の日々は来ないと知る事」令和4年4月3日記

「まやかし、錯覚に気づかない限り安穏の日々は来ないと知る事」

昔からずっと一膳のご飯は一膳のご飯でしか無く、1杯のコーヒーはあくまで1杯のコーヒーでしか無い。

年々、みんなが崇める金という道具の価値は下がり続け、印刷出来る権限は強くなる。下がる金の意味を考えられずモノと交換する為に労働賃金を上げ様と必死になり更に1膳のご飯、1杯のコーヒーの価値を高め続ける。

別に身体が倍になり胃袋がでかくなった訳でも無いが、ひたすら金という道具を集め続ける姿を眺めながら、ラットゲームに参加させられている事に気づかない事自体、世の中この先大丈夫か?と思う。

自分が子供の頃「ウソついたら罰金1000万払えよ❗️」と相手が払えない様な大金を言った記憶が有るが、現在(いま)の子供は「1億な❗️」だろうか…

面白いのはみんなが欲しがるモノは自ずと価値が上がるのが道理だが、金という道具に関しては価値が下がる。冷静になって考えれば紙切れ、数字はいくらでも権限の有る人間が増やせるって事だ。そんなまやかしを知り遊び感覚でお付き合いするならば解るが、本質を観る事の出来ない人間は印刷出来る権限の人間の掌の上で一生、一喜一憂しながら踊らされ続ける事になるのだ。

自分自身が安穏な日々を過ごすにはまやかし、錯覚を見抜く力をつけ、他人が創ったくだらない価値観に振り回される事無く、本質を思考する力を身につけるしかない。

それさえ身につけられれば日々心自由に遊ばせる事が出来、人生は自分自身で構築出来る。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。