宗教法人

来慶山忠暘院

「一般現代日本人が価値有ると信じる偏差値教育なんぞ余興の「イントロどん❗️」と同レベルと気づく事」令和3年12月19日記

「一般現代日本人が価値有ると信じる偏差値教育なんぞ余興の「イントロどん❗️」と同レベルと気づく事」令和3年12月19日記

「一般現代日本人が価値有ると信じる偏差値教育なんぞ余興の「イントロどん❗️」と同レベルと気づく事」

世の中を眺めながら、自分には記憶力のみに偏重した教育の限界が垣間見える。削いで眺めれば、現代社会の学校の試験なんぞクイズ番組のイントロ当てクイズ…イントロドンと同じと思う。

膨大な曲を脳みそにインプットして曲の一部を切り取り出題されるイントロ当てクイズで勝利して喜んでいる姿と重なるのだ。イントロドンは余興でしか無いが余興の勝利者をいつまでも称賛し続け、実社会生活でも凄い事を成せる人物だと評価しているに過ぎない。

何も知らないよりマシとは思うが、本来インプットしつつも、考えなければならないのはその曲が出来た背景や旋律に込められた作者の想いのハズだが…ソコまで想像する人間が少ないのだ。

本来の学問は日常生活の中で不思議に思う問いや不便に感じる事からスタートし、学ぶ事や工夫する事で自分自身で不思議に思った事の解を探究する、不便に感じた事を解消するモノなのだ。

大切なのは不思議や不便に感じる問いで有り、発した事柄を納得、解消する解に至るまでの経過、道筋。自分自身で自問し続け、解決方法を構築し身体を使い解消する事なのだ。

もう一度書くがイントロドンは余興でしか無い。余興に対し称賛するのは余興の間に止めるべきで、余興の勝者が人格を兼ね備え社会に貢献する人物だと思い込んでいる錯覚を捨てる感覚を大人ならば持たねばならない。

日本の最高学府とされる大学や大学院を出られた方々と実社会で接し、付き合いの中で自分が感じた事を勝手気ままに書いてみた。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。