宗教法人

来慶山忠暘院

「二つの眼に写る説かれる偽り無き真実から意味を読み解く」令和3年9月21日記

「二つの眼に写る説かれる偽り無き真実から意味を読み解く」令和3年9月21日記

「二つの眼に写る説かれる偽り無き真実から意味を読み解く」

目の前で起こる出来事を時間軸を考えれば一瞬、一刹那が過去から未来へと流れる「結果」なのだ。そこには紛れもないない真実のみが横たわる。

俗に言う「結果が全て」という事だ。

人間は心が在るので自分の主観を入れて読み解こうとするが自分に都合の良い解き方では無く、主観を外し、在りのまま受け入れ、ソコに行き着くまでの経過をきちんと精査を繰り返してみる。日々繰り返し続ければ、1つの道理に行き着き理解出来るモノなのだ。

自然の中に生える木々植物は置かれた環境、人間は生育環境、その後は自分の価値観で選び続けた環境により在りのままの姿を観せる。

齢(よわい)50年少々現世を生かされてきたが、その事が解る様になれば、人間に起因する事象なんぞ絡み合った事象を個々を精査し要因を紐解けば何も不思議な事でもない事に思えてくる。

但、近視眼的にしか観る事の出来なくなっている当事者に理解して頂くのは容易では無い。気づかずお迎えが来るのもその人間が選んだ生き方とも思う。

真実が説かれている学びを放棄し続けて生きるのも人間という生き物の性で有る。

《おまけ》
人間を眺めながら感じる事は、人間は少々智慧が有るから環境が変われば最初は自分を良く見せようとするが、3ヶ月もほっておけばその人間の本質を晒し始めるモノだと思う。他人と接するならば本質を見極め相手を選ぶ事…地球人口70億少々…70億分の1のババを敢えて選ぶ必要は無い。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。