「人の差なんてモノは「人間とは如何なる存在で在るべきか?」を自分自身で考えたかどうかだけの差でし無い」
巷を賑わす諸々の事件なんぞを眺めながら、その後のアタマが良いとされる識者とされる方々の事件に対する意見を見聴きし、正解有る問いに対して正解まで導き出す時間訓練に長けた俗に言う偏差値の高い学校を出た方々の限界を感じる。
公の場で場当たり的な対処方法を語れば語るほど、世の中モノゴトを深く考え無い輩の意見が集約化され法律なんぞの手足を縛る事柄が増える事に気づけないのだ。
時代を生きる人間の質が劣化すればするほど決まり事は増える事すら理解出来ていない…(法律なんぞ一回創れば削る事はなかなか出来ない)
自分はアタマが良いと思って輩に限り本来単純な事柄を複雑化するモノなのだ。(そういう場に誰を呼ぶか人選をする人間の質が問われ訳だが、人選する人間もそんなレベル以下なんだと思う様になってから周囲からテレビなんぞを極力排除した。)
事件になる様な事柄を冷静になって眺めれは単純に「人間として如何なモノか?」というだけの話なのだ。
という事は各々各自の「人間とは?」という事を自分なりに理解しているのか?という事に帰結する。
技術ばかり小手指ばかりのHOWTO本が溢れるが、人間として生まれ現世人生を歩むならば基礎中の基礎で有る「人間とは?」を自分なりに理解出来て無ければ対処は全て場当たり的になる。
そんな場当たり的な対処を繰り返してきた輩が行き詰まる姿を観ながら人生一度くらいは「人間とは?」くらい脳みそ有るんだからお考えあそばせ…と思う。
単純に削げばそれくらいの話なのだ。単純では有るが基礎を理解しその上に人生時間を使い応用延長として積み上げた人間とそうで無い輩との差が如実に現れているのが現世現在の人間力の差だと記しておく。