「人生楽な方へ逃げ続ければ最後は身動きが取れなくなる」
数多の如く他人が自分に成り代わって人生において行き詰まる状態を観せて下さる。以前と違いネットが発達した現代社会、そんな姿を見聞きする機会が莫大に増えた。増えたにもかかわらず同じ轍を踏む人間が多い事を不思議に思う。
誰しも諺で聴いてきた言葉なんぞを当てはめながら事象を眺めれば先人達が遺して下さった道理に基づき説かれた言葉の意味に気づかされる。
人生において何かを選択せねばならない状態になった時、楽な方向へ舵を切る事も人間らしいから否定はしない。
但、楽な方向とは今まで経験し知っている方向なのだ。知っている方向を選び深掘りすれば人間的に成長するが、殆どの場合深掘りする事は無い。その場所で止まるどころか人間的に浅くなる。
苦を伴う方向は人生で経験した事の無い方向だ。経験した事の無い方向を選べば自ずと人生において新しい経験をせざるを得ないので成長する事になる。人間的に深みを増すのだ。
齢(よわい)50も過ぎてくるとそんな経験の差が格段に有る事を痛感する。周囲を見渡すと楽を求め続けた人間が徐々に先細り自分自身で選べる人生の選択の幅を更に細めていく姿を目の当たりにする。
「若い時の苦労は買ってでもやれ」
先人が遺して下さった有難い言葉で有る。若くなくとも構わない。先々選択すら出来なくなる前に苦と思える方向を選ぶ事をお勧めしておく。