「人間、目の前の出来事に対して全てを自分で判断選択出来る事だと気づく事」
人間、起きている間、目の前の出来事に対して常に判断、選択を自分自身で繰り返している。
現在(いま)の瞬間座っている、立っている目の前に広がる2つの眼に写る風景も首に縄を着けられ引っ張ってこられた訳でも無く、数多い選択の中から選び判断し行動した結果の風景なのだ。大人と呼ばれる立場ならばその事は現時点で取り巻く人間関係なんぞの環境も含め全てに当てはまる。
本来、選択判断は自分自身で出来るし、現実最終判断は自分でしている事なのだが、他に委ねた様な錯覚をしている人間が多い。(そんな錯覚をしている人間がちょっと権限を持つと他人の人生にまで越境する姿を多々観るが、思慮の浅い残念な姿でしか無い。)
その事が解らない限り日々の生活に対して不平不満を口から吐き続け悩む事になる。(余談だが…前にも書いた通り、悩みには基本、自分の意志、力で変えられる事と自分の意志、力では変えられない事の2つしかない。2つをごっちゃにして悩む。)
但、自分自身で選択判断は出来るが、自分自身の中に明確な判断基準が無ければ正しい方向へ進む事は出来ない。自分にとって単なる都合の良い方向へ進んでいる様で、客観的に観れば生涯に渡り堂々巡りする事が関の山だ。
あくまで自分の場合だが、自分で決められる事の判断基準を常に「人間として立派かどうか?」に変えてから大きく道を外れ失敗する事が無くなった。不思議と現在周囲を同じ様な価値観を持つ方々に囲まれ始め、日々安穏な生活になった。
あくまで自分が現世、人生を歩みながら気づいた事で、他に勧める訳でも無く人それぞれの話だと思っている。