宗教法人

来慶山忠暘院

「人間が必要と信じて日々やっている事は、生きる為に不必要な事の方が多い」令和4年1月6日記

「人間が必要と信じて日々やっている事は、生きる為に不必要な事の方が多い」令和4年1月6日記

「人間が必要と信じて日々やっている事は、生きる為に不必要な事の方が多い」

金が有れば幸せになれる…と信じてというより、信じ込まされてきた。

そんな金という道具を生涯に渡り多く得る為にどうするか?に心血を注いできたし、現在も世の中進行中だが…身の回りを冷静に眺めてみれば…

着る事の無い服がクローゼットに十二単の時代では無いだろう…と思うくらい多数ぶら下がり、下駄箱にはムカデか⁉️と思うくらいの靴が有ったりする家の方が多い。身の回りに溢れるモノは金という道具が変化した姿なのだ。大枚を使い、使いもしないモノを溜め込み、それでも自宅に収まりきらないモノをレンタル倉庫を借り溜め込んでいる姿は滑稽だ。

学歴が高くなれば生涯賃金が上がるらしいが、現在、提示される生涯賃金の数字は何処かに生涯雇用される前提で出された過去の数字でしか無い。生涯雇用が崩れつつ有るこれから先の世の中を考えた時、その数字を信じるには無理が有る。学歴を得る為、学校に入学するまでの塾に費やす経費、入学後に支払う学費という名の投資額、その為に費やした時間なんぞを先々回収すると考えてみればこれから先は不透明なのだ。学歴から得るリターンは縮小すると思っている自分からすれば滑稽な事なのだ。

潤滑油的な無駄と思える事も人間生活において必要とは思うが…身体生命を維持する為に胃袋を満たす量なんぞはたかが知れているし、脳みそを鍛えようとしたところで記憶媒体が飛躍的に増える訳でも無い。

すっかり忘れてしまう公式や年号なんぞを無理矢理記憶媒体に詰め込む作業や、食い過ぎからくる体重増加でスポーツジムに通う為に必要な金を働いて稼ぐなんぞ滑稽と思うが、現代社会は削げば無駄と思う事で回っているのだとつくづく思う。

金を貯めようと思うならば単純な話、入りより出を縮小させれば自ずと貯まる。ダムを創り流入する量より少ない量を流すイメージだ。気がつけば自然と溜っている。溜まる量が足りないと思うならば流入する水の量を増やすのが智慧というモノだ。

但、湛える水も田畑を潤す使い方も有るが、溜めているだけならばダムが決壊しない様に気を配り続けなければならない事を考えれば滑稽なのだ。

滑稽…滑稽…と書き続けてきたが、正直に書けば自分が過去にやってきた事だから過去の自分に対して滑稽だったと自戒を込めて書いている。

自分が考えていたより世の中、時代の変化速度が加速した。余暇を楽しむ感覚に馴染む事が時代のトレンドとも思うが、さほど器用でも無い自覚が有るので少し離れた場所から時代に並走していこうと思っている。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。