「人間という「人間という自覚が有るならば、単なる水面を漂う漂流物で人生を終えるにはあまりにもったいない事に気づく事」
世の中を眺めほとんどの人間に対して感じるのは大海の水面に漂う漂流物と重なるのだ。漂流物状態で能天気に日々穏やかな凪の状態が永遠に続くと信じているフシが有るから大丈夫か?なんて思う。
水平線の遥か向こうから少しずつ暗雲が漂い始め白波が立ち始め様と気づく事も無く…暴風雨に巻き込まれて初めて事の重大さに気づいて大慌てする姿を観る。
考える頭脳…そして考えた事を具現化する手足を与えられながら、どちらの方向に進むのか考える事を放棄し、手足を使い漕ぎ出す事も無く単なる漂流物化している事自体、人間という自覚すら無い事自体何度も書くが単なる漂流物なのだ。漂流物に特化し黙って漂っていれば良いものの漂流物同士ぶつかろうモノならば自分の正当性を互いに主張し相手を罵倒し傷つけ合うのだから始末に負えない。漂流物は有限な人生時間の浪費という事すら気づけないからタチが悪い…(目先でモノゴトが起こった瞬間、損得を直ぐに思う価値観を持つのに、人生において時間軸で損得を考えないのは如何なモノかと思っている。)
漂流物として有限な人生時間を終えるのでは無く、自分自身のアタマを使い方向を定めて、自分自身の手足を使い先ずは漕ぎ出す。元から与えられているのだから生命より大切と思っているフシの有る金なんぞかかる訳でも無い。
漂流物が風や水流に流されながら流れ着く場所はある意味ゴミ溜めの様な雑多な場所なのだ。そんな場所に流れ着き身動きも取れなくなる前に自身で漂流物状態から脱出することをお勧めしておく。