「人間なんぞ転職繰り返して何処へ動こうが言っている事、やっている事はずっと同じ」
和笑(おしょう)という立場にいると3回忌を終え次に会うのが7回忌という事が多い。佛様の供養だけで無く時系列的に家族全体の動きを観せて頂く事になる。
人間関係や待遇面で転職を繰り返している方もいれば、隠居する気で退職する度、本人の意思とは関係無く役職待遇で口説かれ転職されている方…諸々な姿を観る。
前者の人間関係や待遇面で転職を繰り返している方の共通点は本人の力が伴っていないのに、「よくそれだけ不平不満を見つける事が出来るモノだ…いっそ評論家に転職すれば良いのに…」と思うくらいだし、後者は「何処に動こうが自分の役割りを把握し期待以上の結果を出しているんだなぁ…」と感心する。
代替わりすれば前者は法事もやらなくなるからほぼ縁が切れ自分の中ではそのうち記憶から消える。後者は代替わりしても家族とはずっと永いお付き合いとなる。
単純な話、「目に見える部分だけに重点を置き刹那的、損得で動き出来た縁を断つ(断たれる)方」と「目に見えない繋がりまで想像し出来た縁を良縁と出来る道理を弁えている方」の違いなのだ。
どちらの人生が豊かで幸せに満ちているかは言わずとも知れている。