宗教法人

来慶山忠暘院

「人間の流行り廃りはゆっくり振れる振り子だと気づく事。それが解れば惑わされる事は無い」令和4年2月10日記

「人間の流行り廃りはゆっくり振れる振り子だと気づく事。それが解れば惑わされる事は無い」令和4年2月10日記

「人間の流行り廃りはゆっくり振れる振り子だと気づく事。それが解れば惑わされる事は無い」

情報弱者…俗に言う「情弱」が悪い事の様に言われるが、個人的に受信機テレビを排除し新聞を読まなくなったが別に困る状態では無い。世の中と同じ時間を共有する現代を生かされているが、世の中の大流から距離を置き岸から並走しながら眺める感覚で生きている。情報を元に流行りの真っ只中にいる事が素晴らしいと思う方が多い世の中だが、岸から以前参加していた大流を眺める感覚になると「みんなお忙しそうで大変ですね…」そんな気持ちになる。

基本、有史以来何千年経とうとそれ程人間の思考や行動パターンはそれ程変化するモノでも無く、地球規模で興隆衰退を場所を変えて繰り返しているくらいの事だし、個々の人間の与えられた現世の時間100年ほどの間で観ても「同じ様な事を繰り返しやってんじゃん❗️」くらいの話なのだ。

自分が現世生かされてから半世紀くらいの短いスパンで考えても自分の子供の頃有った近所の個人商店が衰退し、大規模スーパーに流行りが移行したが、現在は近所にコンビニなのだ。(笑)

まるで振り子の如くだが…
先の大戦を終え平和な状態が続き、人間の欲を満たす為の経済なんぞが大きくなれば、個々の国を充実させる建前から経済圏、影響力を拡げる為の覇権争いをし始める。歴史を紐解くと、やっている事は相変わらずで心から「お忙しそうで大変ですね…」という言葉を贈りたくなる。

「生き残る為致し方無い…」なんて言葉が聞こえてきそうだが、そんなある意味くだらない生き残りゲームに積極的に参加するより、距離を置き日本ローカルの気高い「和をもって貴しとなす…」くらいの感覚を世の中に日本国のリーダーが説けないモノかと思うが、損得の覇権争い内側に入り込み相変わらずのミクロ的な視点でしか出来事が観えないのだろうと思う。本当に「お忙しそうで大変ですね…」と称賛の言葉を贈りたい。

振り子の如く左右に降り動きながら、同じ状態を何度も繰り返しているくらいの出来事に着いて行こうと必死になっている姿は「皆様❗️お忙しそうで大変ですね❗️」としか言いようが無い。

大流にのる事が素晴らしいとか致し方無いと信じ込んでいる方々に対して…そろそろ岸に上がられては如何ですか?という言葉を記しておく。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。