宗教法人

来慶山忠暘院

「人間存りのままに生きる事と人間本能で生きるとは全く違う事を知る事」令和3年11月19日記

「人間存りのままに生きる事と人間本能で生きるとは全く違う事を知る事」令和3年11月19日記

「人間存りのままに生きる事と人間本能で生きるとは全く違う事を知る事」

うちで飼っているヤギの母娘が与えたバナナの皮やメロンの皮を取り合い本気で頭突きし合い取り合う姿を眺めながら「一応人間と呼ばれているがヤギと同じレベルの輩が人間社会でも増えたな…」と思う。

自分で大した努力もせず降って沸いた様な親が創った遺産なんぞに子供たちが血眼になって争う姿を見聞きする度、「ヤギレベルじゃん…親に出来た事が一代人生与えられていながら何故は出来ない❓」なんて思う。

西郷隆盛が子孫に「美田を残さず…」なんて言った意味を考えながら、美田を遺すより遺すべきは道理を弁えた人間だと常々思う。

よく「存のままで…」なんて言う輩がいるが、前提として人間の在り方が解っていないのならば無責任な事を言うなと思う。単なる存のままならば本能に支配された欲にまみれた状態で現世混乱させる存在になるだけだろう…と思う。現に世の中そんな輩が世の中を混乱させている。

自己中…自分ファーストの人間の在り方と離れた与えられたバナナやメロンの皮を奪い合うヤギレベルの輩が増殖しつつ有る現代人間社会を眺めながら…

自分個人的にだが、「人間では無く単なる動物レベルの存在として行き着くところまで…互いに力を削ぎ合い自滅するまでおやりなさい…」と思う。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。