宗教法人

来慶山忠暘院

「何かが崩れた時アタマに元通りのカタチまでしか浮かばない人間には進歩が無い」令和3年10月17日記

「何かが崩れた時アタマに元通りのカタチまでしか浮かばない人間には進歩が無い」令和3年10月17日記

「何かが崩れた時アタマに元通りのカタチまでしか浮かばない人間には進歩が無い」

少しずつ表面化し始めた諸問題に対し、正解有りきの正解までの時間と正確さを競う訓練を施され続ける現代教育が創り上げた人間を眺めなながら考える。

以前ならば社会に出ても誰もが正解と認識していた「◯歳までには結婚。子どもは2人。◯歳くらいには家を買う…」そんな雛形が存在していた。

正解と信じていた雛形が崩れつつ有る現在、新しい在り方を模索する段階に入っているのだが、政を司る方が相変わらず「昔は良かった…あの頃に戻そう…」的な日本総中流回帰発想なのだから恐れ入る。

現在の2つの眼に写るリアル状態はその時代を生きる人間の心の総意で成り立っている。ほぼ何の努力もせず他人から与えて貰うのが当たり前の上、他人をやっかみ、ねたむ人間が増えただけの事。正解有りきの現代教育を無償化すれば変わると思っている事自体、自分には?で有る。日本に生まれたと同時に大卒証書を手渡すのと同じくらいの稚劣な発想としか思わない。

社会に出て必要なのは学歴では無く自ら考え身につけた教養なのだ。教養無き人間は先の想像すら出来ず元に戻す事しか発想出来ないモノだと学歴が高く偉いと自画自賛する互いを先生と呼び合う輩の描く導く先を眺めている。

後進途上国への道を加速しながら進む日本という国で暮らしながら…下がるところまで辿りつけば次は上がるだろう…そんな気持ちで現世を眺めている。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。