「何かを欲しがる事をやめてしまえば何からも支配される事が無くなる」
別に削いで考えれば、生命を維持しながら1日過ごすのに、片手にのる程度の食料、凍え無い程度の衣料、一畳ほどの安心して眠れる場所が有れば、他の事は別に大した事なんぞ無いモノなのだと思う様になってからすっかり心が安穏になった。
今この瞬間、寺務所に座っているが周囲を見渡せば生命の維持には全く関係ないモノに囲まれている。かつての思慮の浅い自分が必要と思い集めたモノだという冷めた気持ちで眺めれば自分のアホさに気づく。
ここ4〜5年で敷地を10倍ほど拡げたが和笑(おしょう)という立場の時に説く内容を理解し実践すればどうなるか一番解り易く説く必要を感じた事と、晩年日々片手にのる食料を自分で作る必要性を感じた事といちいち誰からも言われる筋合いの場所を創ったくらいの事だ。正直書けば辻説法でもしながら托鉢すれば良い事と思えば本当はどうでも良い事だと思っている…
基本、欲や相手を頼る感覚を外してしまえば、何に対しても支配される事も無く、誰に逢う事や少々大変と思う事に遭遇しても大して動ずる事も無いモノだと実感が有る。
人生を通じ学んだ、周囲に感謝する事を忘れ、慢心に振り回されると大変な目に遭うという事を踏まえ、釈迦の説いた法を拠り所にしておけば別に日々安穏なのだ。
自分は後5年で還暦を迎える。還暦まで生かされているならば何とか人格を磨き上げたいと思っている。