宗教法人

来慶山忠暘院

「何に対しても誠実に対応しているか?人間の差とはそれくらいの日々の積み上げでしか無い」令和3年12月30日記

「何に対しても誠実に対応しているか?人間の差とはそれくらいの日々の積み上げでしか無い」令和3年12月30日記

「何に対しても誠実に対応しているか?人間の差とはそれくらいの日々の積み上げでしか無い」

大公秀吉と石田三成の最初の出会いの有名なお茶の出し方の逸話を想像しながらその頃僧侶だった三成の寺に入るまで接した両親、周囲の大人や師匠が素晴らしい方だったのではないか?と想う。

日々、他人やコトと向き合った時、相手のそのおかれた立場や自分に与えられたコトに対応するには「日々向き合う相手や、自分がやる事の意味を想い誠実に対応してきたか?」という力量が試されるのだ。

無論本人の意識の高さも必要だが、意識をそこまで高めるのは周囲の人間なのだ。

妬み嫉みなんぞを口にしている輩に周囲を囲まれていると相対的にモノコトを観る力が削がれ殆どが周囲に同調し埋没するのが人間の性なのだ。

「環境を整える…」そんな事を子育て中の親が口に出し良い学校とやらを目指しお受験に挑ませるが、先ずは家庭…その家庭を創っている大基の自分自身の意識を整えるのが先決なのだ。記憶力に偏重した先々AIに取って代わられる現代の勉強とやらでは無く人間にしか出来ない相手を思い遣る心を整える事が何より重要なのだ。

自分の意識レベルの低さを棚に上げて「アイツ意識高い系…」なんて他人を揶揄する輩が多いが、その手の輩の晩年は惨めなモノだ。

惨めな晩年を送りたくなければ、気づいた時点で意識を変える事…「アイツ意識高い系…」と揶揄する相手に素直に教えを請う、真似るくらいになれば半年後、1年後は自ずと変わる。

ここでの意識とは、記憶力のみをつけ様とする意識を高める事を指すのでは無く、周囲に対して気配りで有り、自分自身で決めた事をやり続け様と自分を律している姿の事を指す。そんな意識レベルの差がこれから先現在以上に急激に拡大する。

格差社会という言葉におののきながら、他に理由や原因を見出し自分を慰める世の中だが、個々の意識レベルの差が以前とは違う早まった人間の感じる意識時間の早さに伴って急激に拡大している様に感じるだけの話だ。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。