宗教法人

来慶山忠暘院

「何を意図としてそのモノゴトが現在に至るのかを観る力が無ければ次の手は打てない」令和3年10月2日記

「何を意図としてそのモノゴトが現在に至るのかを観る力が無ければ次の手は打てない」令和3年10月2日記

「何を意図としてそのモノゴトが現在に至るのかを観る力が無ければ次の手は打てない」

現世、自分たちが生かされる人の世とは悠久に連なる時間軸で人間の心が織りなす先っぽの世界のなのだ。

2500年前の釈迦の生きた時代も現代もさほど人間の心の根本は大きく変化する事も無く数代で浮き沈みを繰り返している。

金が有れば幸せになれ安泰の様な考えが主流を占めるが、それならば秦の始皇帝一族は現代まで幸せで安泰な状態なバズ…。末裔がどうなったかなんぞ歴史が指し示してくれているのにテストで点を取る為だけの年代暗記勉強しかしないからそんな単純な意味すら判らない。世の中、大丈夫なのか?と思う。

時間軸の最先端を歩みながら、周囲を見渡し動かしている人間がどの方向、何に向かうのかを読み解きながら二歩では早すぎるので一歩半くらい先で歩みを進める。

ほぼ誰しもが手に持つドラえもんのポケット並のスマホという道具が平等に与えられた現代…知はいくらでも埋められるくらい平等なのだ。

「格差社会❗️」「親ガチャ」なんぞと嘆く輩に限ってスマホゲームに時間を割く…

そんな自分自身を省みる事をお勧めしておく。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。