宗教法人

来慶山忠暘院

「個々の人間が積み上げてきた人生を先ずは肯定し、自分ならばどうするかを思案し実行する」令和4年3月9日記

「個々の人間が積み上げてきた人生を先ずは肯定し、自分ならばどうするかを思案し実行する」令和4年3月9日記

「個々の人間が積み上げてきた人生を先ずは肯定し、自分ならばどうするかを思案し実行する」

少し以前まで、自分が是と思う事を他に押し付ける感覚が有ったが、最近、一呼吸おく感覚に変化した。

考えてみれば他人にモノゴトを押し付けられる事自体迷惑な話だ。まして現世を生きる価値観なんぞ自分が望みもしないのに昨日今日会った相手から押し付けられる事自体、自分だったらブチ切れる出来事なのだと気づいた。

現在自分から出向き人と会う事は無いが以前から知る人伝てにわざわざ訪ねて下さる方がおられる。日時はこちらから指定させて頂く事になるが必ず時間を取る様にしている。

現実世界で対面する相手に対して冷静になって考えれば、「現世生まれて目の前に存在する事とは今まで日々の取捨選択が間違えていないから事故に巻き込まれる事も病気になって生命を獲られる事の無かった相手」となる。

簡単に言えば取捨選択を間違える事無く生存し目の前で対峙するまで生き残ってきた相手なのだ。階段で高さを見間違えて転んで亡くなる方もいる事から考えれば、生き残るだけでも大したモノなのだと思う様になった。

そんな取捨選択を間違える事無く、更に運も味方につけた人間(最近は勝手にそう思う様にした。)と対峙すれば自分には無い何かしらの学びが必ず有るモノなのだ。

最初から「会うに値しない…」などと思う事無く1度は会い、相手が積み上げてきた人生を肯定する…2度目会うかはそれから決めれば良い事…

但し、人それぞれとも書き加えておく。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。