宗教法人

来慶山忠暘院

「偉業とは称賛するだけで無く、実はさほどの大差無い人間はやれば出来る事を教えて下っている出来事と知る」令和4年3月20日記

「偉業とは称賛するだけで無く、実はさほどの大差無い人間はやれば出来る事を教えて下っている出来事と知る」令和4年3月20日記

「偉業とは称賛するだけで無く、実はさほどの大差無い人間はやれば出来る事を教えて下っている出来事と知る」

100m9秒を切りオリンピックで金メダルを取る等の生まれ与えられた身体能力は別として殆どの出来事は日常生活の延長と考えている。

素晴らしいと感じる偉業を成し遂げた方々を見聞きする度、常に「何を為さってこうなったのだろう?」と成した現実を見聞させて頂きながら、自分にも出来そうな事は現在置かれた自分の立場で出来る事を模索し実行する事にしている。以前ならばやりたいと思いつつ物理的に難しい事も多々有ったが、現在そこそこの土地や建物を所有する様になり、やりたい事が気兼ねなく出来る事が増えたのは本当に有難い事だと思う。

よく「あの人だから出来た…」そんな言葉を聴くが、人間さほど身体的な差や能力の差は無いと思うし「あの人」とやらが周囲より長い人生時間を与えられている訳でも無い事から考えれば「あの人に出来たならば努力すれば自分にも出来る」それくらいの話だと思っている。

現在自分に与えられた力に気づく事無く一生を過ごし晩年後悔するくらいならば素晴らしいと称賛した事は数分の1でも数十分の1でも良いから自分に出来る事を真似てみる。二番煎じだろうが三番煎じだろうが関係無い事だ。

知っているだけで無く、やってみた、やっている人間との会話は楽しい。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。