「先ずは現在の自分の力で変えられるモノ、変えられないモノを見極める力を持つ」
普段の生活の中で変えられるモノと変えられないモノの区別が出来ているか?なのだ。
生まれ出でる親だって選べる訳では無く変更は不可だし、日々の天候等々…自分の力で変えられないモノは多数存在する。自分以外の他人だって変えられないモノの筆頭だ。
未熟だった頃、悩み事を相談されたが本心では別に変わりたく無い相手に対して時間を割き相手を変えようとしていたアホな自分がいた。
本心から悩み事を解決する気が有れば殆どの場合放っておいても、そのうち悩み事自体は本人が解決出来るモノだと現世は解るが、その頃の自分には未熟過ぎて小手先だけの相手の望む解決まで本人に代わりやってしまう事が多かった。その後を眺めると数年スパンで同じ様な悩みを抱える相手を観るだけだったのだ。
その頃「言わなきゃ解らない…」と思っていたが現在は「言わなきゃ解らない様な思考の相手は言っても解らない」と理解して、よほどの事が無い限り言うのをやめた。変えられないモノを無理に変えようとしていたアホな自分がいただけの話なのだ。
亡母が現在だった頃、娘で在る妹と諍いが有り母親から「何であんな性格になったんだろう…」と相談されたので単刀直入に「根本は誰が育てたのかって事❗️自分が周囲から聴くにアナタの若い頃とそっくり❗️」と応じた。お互い自分そっくりな相手を変えようとしている姿は喜劇、人生時間の浪費としか映らなかった。
変えられないモノやコトを変えようとする事で人間は悩み気力を削がれる。
それよりも現在の自分の力で変えられる事に注力し取り込む事の方がどれだけ時間を有意義に使って成す事が出来るか?
先ずは現在の自分自身で「変えられる事」「変えられない事」を書き出してみて区別仕分けしてみる事から始めてみれば良い。自分で変えられる事が判れば次が見えてくる。