宗教法人

来慶山忠暘院

「光陰矢の如し…身命つゆより脆し…有限の自分の人生…相手を変える事に時間を費やすより自分を変える事に時間を費やす」令和3年11月14日記

「光陰矢の如し…身命つゆより脆し…有限の自分の人生…相手を変える事に時間を費やすより自分を変える事に時間を費やす」令和3年11月14日記

「光陰矢の如し…身命つゆより脆し…有限の自分の人生…相手を変える事に時間を費やすより自分を変える事に時間を費やす」

かつての自分もそうだったが相手を変えようと必死になっている姿を観る事が有る。言っている事、やっている事がどんなに正しくとも相手を変えるのはどだい無理なのだ。よく「あの人に変えて貰った…」そんな言葉を聴くが、変えて貰ったのでは無く相手と自分を対比し、自分自身が気づいたから変わったのだ。
個人的にだが、人生はなってもらいたい人間に相手を変えるなどと驕った考えは捨て去り、自分自身が為りたい人間になる事に費やすべきなのだと思っている。自分自身が未完成の人間にも関わらず相手を変えるなんぞ他人の人生への越権行為、冒涜なのだ。
為りたい自分自身の理想とする人間像を想い描き、とにかく日々自問自答し、自答を出たらとにかくやり続ける。人間だから自答が間違える事も有るが、間違えていたと気づいたならば意固地になり理由を取ってつけたりはせず、自分の中で答を素直に修正する。
現在、理想だけを語り何もやっていない輩なんぞに構っている時間は無いので、日々有限な自分の人生を使い自分の思う事をやっている。
《オマケ…》
ふと現在(いま)はもう亡き一番身近な年配者で影響を受ける両親や養父を想い…
両親や養父がそんな人間だったならばもっと早くそんな生き方に気づけたのでは…
と想像してみたり、
両親や養父がそんな人間だったならば日々息苦しさに押しつぶされたかも…
などと考えたりもする…

 

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。