「入ってくる銭しか見ないクセを付けると生涯に渡り大切なモノが見えなくなる」
誰しもそれぞれが価値観を持つが、その価値観が人生における先々の行動するかどうかの一種のフィルターとなる。
若い頃の思慮の浅いうちに、入ってくる銭…自分に対するメリット…リターン…俗に言う損得勘定を入れ固定してしまうと生涯に渡り足枷となるのだ。
自分ではめた足枷となる価値観によって自分の人生の幅を狭め先々悩みの根底を為すモノとなるから厄介なのだ。
但、子供の時は家庭内の親の価値観が色濃く入り込むから子育てをしているならば特に注意が必要となる。
先々、子供が成長し生き辛さに悩み始めた時、最終的に行き着く結論は幼少期に親から入れられた価値観だという結論となる事が多い。その時に上手く子が意識や価値観を転嫁出来れば良いが殆どの場合その価値観を入れた親に対する恨みに変わるのだ。その時の怒りは半端無く親の気力や体力の落ち始めた年齢ならば晩年の悩みの種となり続ける。自業自得だがその手の親は自分が蒔いた種とは思わず子が勝手に恨んでいるとしか思わない。
世の中で事を成している方々の話を聴くと、育った家庭は経済的に貧しくとも親の価値観、考え方が立派な家庭が多い。
現在日本が抱える閉塞感、自殺者の多さから鑑みれば、入ってくる銭なんぞを先ず勘案する狭い損得勘定価値観が跋扈し主流を占めている事に起因していると自分は思っている。
了見の狭い損得勘定価値観では人生は先細りする。徐々に細っていき最終的に自滅するのが道理なのだが、道理が解らないのだから致し方無いと思っている。
周囲を見渡してもそんな価値観の輩が例外無く細っていく姿を観るが、自分には当てはまらないと信じている輩が多いのだから本当におめでたい事だと思う。
そんな了見の狭い損得勘定価値観しか持たない輩と友達となり有限で貴重な人生時間を過ごす…浪費する事は自分の人生を細らせる事となるのは必然、先祖から繋いで頂き、与えられた人生の冒涜としかならないのでプライベートでのお付き合いはしないと決めている。
人それぞれ…多様な価値観で別に構わないと思うが、曇ったガラスを通してというより、曇りきったガラスを通すと何も観る事は出来ないくらいの話なのだ。