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来慶山忠暘院

「同じ失敗を何度も繰り返すのは自分自身の思考が固定されている事と知る事」令和4年3月26日記

「同じ失敗を何度も繰り返すのは自分自身の思考が固定されている事と知る事」令和4年3月26日記

「同じ失敗を何度も繰り返すのは自分自身の思考が固定されている事と知る事」

ある程度身分や居住地までが固定されていた封建制度の江戸時代であるまいし、自分自身で選び取る事の出来る自由度は限りなく大きい時代なのだ。

そんな与えられた自由度の現代社会で自分自身で取捨選択しながら選び取り自分の望む状態に近づけていく事が人生の醍醐味なのだ。

その中で同じ様な失敗を何度も繰り返す事が有る。何が起こっているか?となるが単なる自分自身の思考の固定化から起こっているに過ぎない。

特に現代人の失敗の殆どは人間関係にまつわる事が多い。環境を変える事で好転する事も有るが、環境を変えたから好転したのでは無く、環境を変えた事で自分自身の思考が固定していた状態から一時的に変化しただけの事なのだ。但、そんな好転状態も人間の性根(しょうね)自体が一気に変化する事は無く、思考が元に戻ると同じ状態になり同じ様な失敗を引き起こす事が多い。

デジャブの様に次々と起こる失敗自体、自分自身の思考の固定化に起因している事が多いにも関わらず、自分を理解してくれないと相手に原因を探る人間の方が多いが、単なる思考停止状態なのだ。転職や転居で何処に動いて環境を変え様が、時間経過に伴い同じ様なトラブル、失敗を抱える事になるのは自分自身の思考が元に戻った事が根本原因なのだが気づく事の人間の方が少ない。

自分が成人した大人と思うならば、先ず現在の自分の周囲全てが自分自身の思考に基づく創り上げた状態、結果なのだと認識する事だ。認識した上でならば次の手を打つ事も可能だが、そこに行き着かない限り小手先の対処をしたところで次にはもっと大きな意に沿わない出来事に遭遇する。

自分の意に沿わない状態が繰り返されたからといって「周囲の理解が得られない…」と他人に転嫁させたり「自分はどうせこんな人間だから…」と開き直り更に自分の思考パターン、心を固定、硬化させ堂々巡り状態で本来使わなくても良い力を注ぎ疲弊し続ける姿をよく観るし、相談にも乗ってきた。
但、次回会うと元の木阿弥状態が殆どなのだ。

最近は自分自身で気づくまでおやりなさい…くらいの気持で自分以外の他人を観られる様になった。

自分自身日々失敗する事で修正する。2回同じ失敗が起こった時には自分自身の固定化しつつ有る心を精査する事にしている。他人を変えるより自分を変える方がよほど容易い事だと自分自身の経験から記しておく。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。