「哲学的価値観が無い人間は数字の付くモノに踊らされる」
毎年この時期になると世の中、大学や高校などの受験の話題で賑やかになる。何を目指しているかを冷静に眺めれば数値化された偏差値の高い学校に入る事が親の願い…その願いに子供が必死に応え様とする姿だ。その先目指すのは生涯に渡り生活が安定すると信じている大きな企業か役所に入る事だろう。自分には子供が本当にやりたい事では無く、親がやらせたい事の押し付けにしか観えないが、明治以降に出来上がった奉公人の価値観は揺るがない。江戸ならば野武士がどこかの藩に雇用され安堵する感覚だろうか。
人生の中で最も多感でスポンジの様な吸収時期に問いから派生した学問では無く強いて勉める勉強のみを脳みそに詰め込む…世の中の大勢を占める価値観の現れなのだ。それが正しい価値観と自分も母親から入れられてた時期が有ったが、現在の自分を冷静に顧みて途中でその価値観から逃亡して良かったと思う。産んで頂いた母親には申し訳無いが彼女の生涯から「心から幸せだ❗️」という言葉を聴く事は無かったし、真似したい様な幸せな人生とは思う事も無かった。
子育て世代の大多数を占める、やりたい事をやるには学歴が必要だし、出来れば偏差値の高い学校の学歴という刷り込まれた価値観、思考はこの先もなかなか変化しないのだと思う。
先々見据えているのは生涯で手にする数値化出来る銭だから恐れ入る。その価値観で一時期、銭を手に入れた輩が身を持ち崩した例を多々見聞きしてきた自分からすれば根底に哲学的な価値観を入れない限り人生、生涯に渡り数字に振り回されて終了すると思っている。
「やりたい事」とは「やらせたい事」とは違うのだ。まして人間の世の中が全て数値化出来るくらいの価値観で生き様とすれば日常生活に必ず歪みが出る。
歪みが出始めニッチもサッチもいかなくなり、自分の様な人間に相談に来るが…単純明解❗️「価値観から招いた自業自得❗️」って事だ。
偏差値教育では点数には結びつかないと思われ蔑ろにされてきた「哲学的価値観」を入れなければこれから先確実に人生が詰まるとだけ警告を込めて書いておく。