宗教法人

来慶山忠暘院

「在るモノを活かす事を日々考え続けるクセをつける事」令和3年11月24日記

「在るモノを活かす事を日々考え続けるクセをつける事」令和3年11月24日記

「在るモノを活かす事を日々考え続けるクセをつける事」

この時期、落ち葉を集め可燃物ゴミの日に集積場に積まれた光景を眺める。パッカー車が焼却炉に運び燃やすのだろうと思う。たかが落ち葉で在るが、集めて積んでおくだけでそのうち堆肥に変わる。

堆肥に変わる過程でいろいろな生命を育むゆりかごの存在になるのだ。単なるゴミと観るか、生命のゆりかごになる存在と観るかの違いなのだ。

普段から多角的な視野でモノゴトを眺めるクセをつけなければ画一的なモノゴトの観方、考え方が出来なくなるのが人間なのだ。

塾へやり、解への過程はすっ飛ばし効率よく公式なんぞをアタマに突っ込まれる訓練をする事が日本現代社会の勉強と呼ばれる世界だが、一番基礎とすべき過程を考える事の無かった訓練生上がりとも呼ぶべき連中の視野考え方の狭さには辟易する事が多い。

一般的に「情緒豊かに心優しい人間になってもらいたい…」誰しも我が子にそう願って子育てするはずだが情緒、心優しい姿は、画一的な観方考え方ではなく、多角的な観方、考え方…想像力が有って成立する。

余談だが、道路傍の街路樹として植えられた木々の根本を眺める度、僅か1m四方のクソ狭い場所に植えられなが栄養分を与えられる事無く大きな枝葉をつけて、、自分の付けた葉っぱすら持ち去られる事を考えると、よく文句言う事無く立ってられるよなぁ…なんて感心する。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。