宗教法人

来慶山忠暘院

「多角的に熟慮して道理から外れた過りと判断した時には迷わず正す気概を持つ事」令和3年11月29日記

「多角的に熟慮して道理から外れた過りと判断した時には迷わず正す気概を持つ事」令和3年11月29日記

「多角的に熟慮して道理から外れた過りと判断した時には迷わず正す気概を持つ事」

自分は親や諸先輩に対する孝や敬を知らない訳では無い。

但、自分が50年以上現世を生かされ親という立場になり、自分より若輩と呼ぶ後輩たちがいる現在では、若い頃に思っていた感覚とは幾分考え方が変わった。

以前は親や先輩に対し無条件に従うモノ…と思っていたが、現在は言っている事、やっている事を冷静に眺めながら無条件に従っては人間としての道を過ってしまう様な輩が存在する事が判った。

自分の場合、意識するのは「人間として…」くらいの事だが、クズっぷり満開の諸先輩方々の姿を観る度、本来ならば反面教師だらけの世の中と感じなければならないのに、そんな反面教師が当たり前の主流となり、深くモノゴトを考えずそんな反面教師に追随する思慮の浅い劣化した若輩者が続出している。

全てのモノゴトを受け入れるくらいの寛容さが佛の教えで有り和笑(おしょう)を名乗っている僧侶の在り方とは知っている。大切な事に早く気づきます様にと祈る事立場では在るが、自分はまだ人格の完成を祝う還暦まで5年少々有る。もう暫くエッジを効かせた生き方をさせて頂く事に決めた。
クソうるさい先輩と言われ様が、クソ生意気な後輩と言われ様が知った事でも無い…
観る事、言っている事、やっている事を多角的に眺め「人間として如何なモノか❓」という尺度に過りだと判断した時、3度ほど警告し改め無いならば思いっきり蹴っ飛ばす❗️親だろうが先輩だろうが知った事では無い❗️(親はもう鬼籍に入ったが…)
但し、自分より若輩者に対してだが、自分自身も沢山の善き諸先輩方々に導いて頂いた事も有る。善き諸先輩方々を真似て寛容で接する事にする。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。