宗教法人

来慶山忠暘院

「大きなモノゴトは全て小さなモノゴトの集まりだと気づく事」令和4年2月2日

「大きなモノゴトは全て小さなモノゴトの集まりだと気づく事」令和4年2月2日

「大きなモノゴトは全て小さなモノゴトの集まりだと気づく事」

自分の中で人間生活において一番凄い事だと思う事は朝起きて寝るまで何事も無く1日を終える事だと認識している。何も無い事が当たり前の様に錯覚しているが、その事自体が実はとても大きなモノゴトの集まりなのだ。

何事も無い状態が維持される為にどれだけの人間が小さなモノゴトを繰り返して下さっているかが解らない事にはその凄さを理解する事は永遠に無いのだ。この凄さ…大きなモノゴトを理解出来ない輩は小さななモノゴトに対して心からの感謝するという事を知らず一生を終える。

以前、他では考えられない事を個々の相談を受けた人間に施していた時期が有ったが、感謝なんぞされる事無く要求がエスカレートする苦難に遭った事が有る。別に感謝されようと思ってやった訳では無いが小さな感謝をせず当たり前に直ぐに転嫁する輩は人生において確実に詰まると学ばせて頂いた。

日々ヘドを吐くくらいしんどい時期を超えて、その事を学ばせて頂いた事に心から感謝する事が理想とは知るが、まだまだそこまで人間が出来てはいない。以前ならば直接鉄槌を降したが解らない輩に鉄槌を降したところで恨みをかうだけの事…やり返さないだけ少し自分自身の成長は感じる。

世の中のイジメ問題もそうだが、やった輩は自己都合良く忘れるか正当化するがやられた方は忘れない。先々、自分自身人間的にもっと成長し心からの感謝が出来る様になればもう一皮むけると思っている。怒り始めたら相手の息の根を止めるくらいの事をやりかねない事をやってしまう自分自身の怒りのパワーの怖さを知るが、最近、この怒りのパワーを善へと変化させる術も身についてきた。

話が逸れ始めた…

全ての大きなモノゴトは善しも悪きも小さなモノゴトの集合体でしか無い。善き人生を送ろうと思うならば日々、自分自身の心に小さな善を意識し小さな善を行いながら、そんな小さな善を知る個々の人間との集合体を創る事と自分自身の心の中を精査し悪と思われる小さな芽を日々引っこ抜きながら、悪意を持つ輩とは関わらない様に心がける事。

人間の世はそんな理想通りにはいかない…そんな声が聞こえてきそうだが、くだらないクズの様な輩と関わるのは嫌だと山に隠遁したのは過去の話…現代ではネットという素晴らしいツール環境が構築されて地球上に居る数十億の人間と繋がれるのだ。数十億人分の数%でも膨大な人数になる。

そう考えれば素晴らしい時代に生かされている事に感謝しか湧いてこない。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。