宗教法人

来慶山忠暘院

「大事に至った後の相談事なんぞ自分の虫歯の痛みを他人に相談している事と同レベルだと気づく事」令和4年2月7日記

「大事に至った後の相談事なんぞ自分の虫歯の痛みを他人に相談している事と同レベルだと気づく事」令和4年2月7日記

「大事に至った後の相談事なんぞ自分の虫歯の痛みを他人に相談している事と同レベルだと気づく事」

日々きちんと歯磨きをすれば、痛む歯を抱え歯医者の入口をくぐる必要も、あの甲高い音を立てる器具で歯を削られる出来事を体験する事も無いのだ。
本来日常生活で抱える悪いと思われている悩み事も同レベルなのだ。1つ1つの小さな出来事、小事をおざなりにしてきた事が大事に至っただけの事でしか無い。
「身から出た錆」とか「自業自得」良い諺が有るが、深掘りすれば全て自分に起因しているモノなのだが、自分が起をおこした事も忘れてしまうのが人間なのだ。
小さな日々のモノゴトの積み重ね…風呂場の桶のへばりつく湯あかの如く毎日少しずつしか変化しないモノには無頓着になりがちでは有るが、来客を迎え宿泊するとなった時、大慌てするくらいならば湯あかがつかぬ様、桶を日々磨くという事と同じ事なのだ。
日々小事をおざなりにし、小事を即修正出来ない人間は大事に至らせる。大事を元通りにまで修正する力量は無い。
日々、世の中を眺めさせて頂くがテレビドラマなんかより一見複雑怪奇と思うリアル世界の方がよほど学びが多いモノだと思う。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。