宗教法人

来慶山忠暘院

「大人という自覚が有るならば「他人からしてもらう人」から「他人にしてあげる人」に意識を変える」令和3年10月7日記

「大人という自覚が有るならば「他人からしてもらう人」から「他人にしてあげる人」に意識を変える」令和3年10月7日記

「大人という自覚が有るならば「他人からしてもらう人」から「他人にしてあげる人」に意識を変える」

ガキと大人の違いはそれくらい事だと思っている。
現在、世の中に増殖しているのは観てくれは大人だが内面がガキのままのガキ大人と呼べる輩だ。

世の中「他人からしてもらうのが当たり前」のガキが増えれば混乱し殺伐とするが、「他人にしてあげるのが当たり前」の大人が増えれば温かい状態となる。

小さな人間社会単位の存在で有る家庭内においても殺伐としている家庭は他人からしてもらうのが当たり前のガキ大人が指揮っている状態だから家族内で奪い合いやケンカが絶えないのに比べ、温かい家庭は親が愛情を与えるのが当たり前の大人の存在が有る。

視野を広げ世の中を眺めれば、世の中を混乱させている場所には「ガキ大人」の存在を観て取る事が出来る。ガキ大人が権限、権力を持ち、そのどうしようも無いガキ大人に更にどうしようも無いガキ大人が群がり支える姿なんぞ喜劇よりタチが悪いし、観るだけで気分が悪くなるが、ガキ大人は所詮ガキ大人でしか繋がれない存在なのだ。

本当の大人と呼ぶに値する存在は与えられる人。他は観てくれだけが大きいだけのガキ大人だと記しておく。

《オマケ》
以前、自分がやる事より何倍ものリターンを求めるガキ大人が周囲に増えた事が有った。ガキ大人は字の如く餓鬼的存在で、与えても与えても腹が満たされる事無く次々に要求を上げ続ける。更にそんな影響を周囲に伝播させる。正直その頃、精神的に疲れ切り、おかれた立場を全て投げたそうとも考えたが、現在は人間という存在の良い学び、自分自身の心の在り方、ガキ大人への対処方法を学ぶ機会を頂けたと感謝すら覚える。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。