「大雑把でも道理理念に沿う目的ならばとにかく進む」
HPにも書いて有るが「自分が幸せになる者では無く自分が幸せにする人間が集う寺」という理念を掲げている。
現在新しい事に取り組む覚悟を固めた。但、公募を経て認められたら具体的に動き出す案件で有る。自助→共助とやってきたが、共助的な存在からもっと世の中の役に立つ公助的な存在に変化させねばならない時期が来た思いからだ。
あくまで公に認められた法人格とは自分の幸せを追求するのでは無く、他を幸せにする為の道具でしかない。そんな道具の代表を務めているならば道具は道具として世の中の為に使うのが道理に叶う。
道理理念から外れていないと判断したならば私心、私欲を外し目的地に向かってとにかく動く事なのだ。道理から外れさえしなければ目的地に近づくしそのうち事を為せる。
親交の有る高野誠鮮師が「計画書通りにモノゴトが進むならば世の中全て黒字企業しか存在しない…」と仰られるが綿密に計画書のみを作成する事より、大雑把でも良いから計画し進みながら書き加えていく…そんな感覚だ。
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」
唯、一念を持って進む…
《余談》
ここ数年人間関係でとても大変な思いをし続けた時期が有った。現在考え直せば理念を掲げているにもかかわらず理念から外れた輩ばかりを出入りさせていた。冷静になって考えると「忠暘院を利用して自分が幸せになろう…」とする輩に囲まれていたのだ。下手すれば内側から瓦解させるどころだった。不思議なモノで現在はすっかりそんな輩とは縁が切れた。
原因を精査すれば「自分の人を観る目の無さ」に起因する出来事ばかりだったと猛省している。自分は単なるバカだったのだ。
自分の様なバカは失敗を経て1つ智慧を授かるモノだと心底思う。