宗教法人

来慶山忠暘院

「子供の頃の学校の勉強の延長の如く、嫌なモノを無理にやらされていると自分が選び就いた仕事を捉えてませんか?」令和3年10月9日記

「子供の頃の学校の勉強の延長の如く、嫌なモノを無理にやらされていると自分が選び就いた仕事を捉えてませんか?」令和3年10月9日記

「子供の頃の学校の勉強の延長の如く、嫌なモノを無理にやらされていると自分が選び就いた仕事を捉えてませんか?」

正直に書けば、以前勤め人坊主をやっていた頃の自分もそんな感覚が有った。現在考えれば人間的な成長を止めていた時間だったと思慮の浅い自分を恨めしく思うのだ。

本来.勉強にしても知る事の好奇心から始まるはずだが…自分が子供の頃、母親から入れられた勉強の感覚は「将来へ向けた偏差値の高い学校へ入学する為の手段…」という、今考えれば世の中のトレンドだったとはいえアホな価値観だった。現在も駅近の学習塾の前を通るとそんな価値観がトレンドの様だが、さほど幸福とは思えない生き方をされている高学歴の方々を観る度「ちょっと間違えてませんか?」なんて思う。

子供の頃は「自分はサーカスで芸を叩き込まれる動物」と思った。毎日が辛く苦痛で早く人生が終われば良い…とすら思う事も有った。(途中でそんな場所から逃げ出した…というより素行が悪すぎて追い出された…)

知る事への好奇心では無く、正解の有る問題の正解への正確さと時間を競う訓練なんぞ…と自分は思うが人それぞれの価値観だから否定はしない。但、自分は子供の頃、勉強というモノが大嫌いになった。

殆どの方は違うとは思うが、そんな大嫌いな学校での勉強の延長で自分で選んで就いた仕事を捉えれば日々単なる苦痛でしか無いモノだと思う。(現実、以前の自分はそうだった。)

本来、人間が生きるとはどんな場所におかれても100%全てを知る事は不可能と自覚し無知を認め、知らない事を知る好奇心を忘れず満たし続ける事…

飽きる事無き好奇心…自分自身の人生を実り豊かにしようと思うならばアホな価値観、考え方を削ぎ取る事をお勧めしておく。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。