宗教法人

来慶山忠暘院

「子育てなんてモノは「人間、本当は靴を履かなくても裸足で歩ける。」と気づかせるくらいの事」令和4年2月12日記

「子育てなんてモノは「人間、本当は靴を履かなくても裸足で歩ける。」と気づかせるくらいの事」令和4年2月12日記

「子育てなんてモノは「人間、本当は靴を履かなくても裸足で歩ける。」と気づかせるくらいの事」

自分の世代は成長過程で「学歴が無いと将来世の中渡っていけない…」そんな感覚を入れられた。現在、半世紀以上現世を生かされて気づいた事は学歴は無いよりは有った方がマシくらいの感覚になった。
少し前「勝ち組」「負け組」という言葉が流行り…学歴社会…格差社会…親ガチャ…なんぞの言葉が次々と生まれてきた。
現在の自分から言わせればそんな言葉自体が「靴を履かないと現世生きられない」とまやかしを信じ込んでいる思慮の浅い人間の残念な戯言と思っている。
時代の流行りに乗っかり、子や孫には同じ思いをさせたく無い…と必死に頑張った時代…更に物質面の充実を追い求めた次世代…心の内側を磨く事を忘れ邁進し現在の価値観が出来上がったが、何重にも靴を履かないと世の中は歩けないと錯覚した感覚を深めただけの事くらいなのだ。
「金が無いと死ぬ…」とか「金さえ有れば…」なんて言葉を吐く輩を冷静に眺めれば残念な思慮の浅さが目につく。
人間は金が有ってもメシが食べられなくなって死ぬし…
幼い子供の生命に関わる金ならばともかく、事業に充てる金だとしても現在それだけの力が無いだけの話だ。まして生活苦に充てるレベルならば根本を考え直せって事なのだ。
そろそろ自分自身の周囲を見渡し、「靴を履かないと道が歩けない」そんな錯覚した思い込みをしていないか精査する事❗️
自分が気づいたならば子供に対して「靴を履かなくても道は歩ける」ときちんと説明出来る親になれば尚よしなのだ。
冷静になって周囲を見渡してみれば最高学府と言われる大学で専門知識を磨いた学士と呼ばれる人間のうち、その知識を活かした職に就いている人間がどれだけ存在しているかって事だ。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。