「居場所なんてモノは自分がその場所に居る事で周囲に何かしらの貢献をしていれば留まれる場所が出来るだけの事」
よく「居場所が無い…」という話を聴くが冷静に眺めれば、育つ環境で勘違いさせた周囲の大人、その感覚を植え付けられた事にいつ迄も気付けない本人の勘違いから発生している事なのだ。
世の中が豊かになり全ての人間に対し無条件に居場所を創るのが社会の役目と思っている人間が多いが、子供の時から教えるべきは「置かれた場所で周囲に自分が出来る事で貢献する術を教える事」なのだ。(無論、障がいを持たれ生まれてきた方々対し配慮は必要。)
人間は大人数の中で社会生活を営む。社会に参加するとは自分の力を社会に役立てる事以外無い。大人という状態になって急に社会に役立つ人間に成れる訳では無く、社会生活の最小単位で有る家庭という場所で徐々に訓練されて初めて成立する。
社会に対し何の貢献も出来ない輩を昔は穀潰しと呼び忌み嫌われる存在として扱った。悪いが周囲に対し単なる穀潰し状態で居場所が出来る訳無いそんな単純な道理すら解らない事の思考が残念過ぎる。居ても居なくても良いどころか居たら生命の糧を無駄喰いするくらいならば居ない方がマシだろうって事だ。
記憶力のみに特化した知…学歴を身につければ一生安泰なんてアホな社会実験はそろそろ終焉を迎える。自分の世代「他の事はどうでもいいから有名、世間体の良い学校目指しなさい❗️」と、くだらない思慮浅い価値観を子供時代に入れ込んでくれたおかげで人間らしさを取り戻すのに随分と大まわりした。
正直「ふざけるな❗️💢バカ世代❗️💢」と叫びたいくらいだ。
どんな場所に置かれ様が周囲に対し貢献出来れば居場所は出来る。「居場所が無い…」と言う事自体、自分は単なる穀潰し状態だと宣言している事に気づけって事だ。