「常に元の原点に立ち戻り考え直してみる…大切な何かを忘れていないか自問する事」
身の回りに在る数々の道具を眺めながら、人間生活の為に考えられた時間短縮の道具だらけとつくづく思う。時間を短縮し始めた原点に立ち戻れば出来た余暇時間に人間らしい想像力を高める為だったのでは無かろうかと推察する。
他人との付き合いもだが、縁が在り出会いお互い自分には無いモノゴトの観方、考え方を学び合い人間性を高めていく出会いのハズだ。いつの間にか相手に依存したり、相手を下げる事をお互いしていないだろうか…そんな事を思う。
道具を創り出し利便性を高め生業の時間を短縮したハズなのに忙しいが口癖となっている現代人は過去の人間から観ればアタマがイカれていると思うのでは無いだろうか…そんな事を思う。
「金持ちになりたい…」そんな言葉を耳にする度、「アナタは何がしたいから金持ちになりたいんだ?」という言葉を飲み込む。殆どの未熟な輩は金を持つ事自体が目的でそれから先のビジョンが何も無いのだから恐れ入る。◯◯したいから金が必要では無く訳も判らずとにかく「金が欲しい…」とはアホなのかと思う。
自分の場合だが「家族が日々心穏やかに暮らせれば充分…」という思いが大元、つまり原点で、それ以上は別に必要の無いモノだと思っている。
現在就いている和笑(おしょう)という職も、お参りを依頼される施主と呼ばれる依頼先に対し出来る限りきちんと誠実に対応させて頂いているだけの話。頂く布施の多い少ない…そんな事はどうでも良い事で、誠実に対応させて頂き、預かるお布施の中から家族が日々心安穏に暮らせれば良い事くらいの分を頂き、後は世の中に対して還元すれば良い事で、その考えに基づき出来る事をやっている。
そんな気持ちで忠暘院を運営してきたが、ここのところ規模が少々大きくなり、頼まれ事が増え以前に比べたら施主に向き合う時間が少々取れなくなってきた感が有る。この先更に時間が取れなくなり、心を亡くした忙しいという状態になったと判断した時は原点に立ち戻り規模を縮小し、極端な話だが原点を忘れるくらいならば閉じる腹を括れば別に大した事でも何でも無い事なのだと思っている。法衣を纏い托鉢すれば良い事なのだ。
いがみ合う為に結婚した夫婦なんていないだろう…
自分の満たされ無かった欲求や出来なかった…というよりやらなかった夢を子供に托そうなんて子供の誕生の時考えたヤツはいないだろう…
金だけ欲しくて起業したヤツはいないだろう…
出世し肩書きだけが上がる事を望んで仕事に就いたヤツはいないだろう…
いつの間にか原点を忘れてしまい、出来上がったモノに執着し始め…失う事を恐れている輩ばかりが目につく世の中なのだ。そんな事に執着し続け、心を病むくらいならば、原点に立ち戻り放下著(ほうげじゃく)…くだらないプライドなんぞ捨て去れば良い事なのだ。
いつの間にか忘れてしまいがちになる原点を思い出すべきだ。