「幸せ」を考える…

 幸せの捉え方は千差万別で有る。

故に「コレが幸せってモノだ❗️」なんて強制するべきでは無いと思っている。正直に書けば以前、自分の幸せの定義を他人に押し付けていた時期も有った。

自分は現代を生きる坊主で在るから、司祭者として葬儀の導師を勤める。

毎回、送らせて頂く方、一人の人間の、

「人生という物語の完結」

を観る感覚にとらわれるし、更に遺された家族との付き合いの中でエピローグを観せて頂ける有り難い立場だと思っている。

そんな中、観えてくるモノは、

「幸せになる」と生きた人間…

「幸せにしてもらう」と生きた人間…

「幸せにする」と生きた人間…

「幸せ」の考え方、捉え方の違いによって人生の物語の完結とエピローグが大きく変わる❗️

それだけの事だと気づいた。

「他人を蹴落としてでも幸せになる❗️」

なんて生きてきた人間はどんなに財や社会的地位を遺しても、一瞬の葬儀は盛大でも、後の弔いは無いし、お骨は三段ボックスの上に置きっぱなしだったりする。

「幸せにしてもらう…」

なんて生きてきた人間は、やはり晩年周囲から迷惑がられる姿に変化して…亡き後、存在すらアッという間に忘れ去られる…

「他を幸せにする」

と生きてきた人間は、尊く送られた後も遺徳を偲ぶ方々に大切に扱われるし、取りまく遺された方々も同じ様な他を幸せにする人が多い…

自分がそんな結末、エピローグを観せて頂きながら人間として「真似したい…」「こう在りたい…」と感じるのは「他を幸せにする」生き方だ。

あくまで自分の結論だが、

「幸せ」なんてモノは「なるモノ」「してもらうモノ」では無く、

自分の現在(いま)与えられたモノを使い、

「自分以外の他にするモノ…し続けるモノ」

と自分は理解している。

自分が年間100人を超える方々を送らせて頂きながら、二つの眼で観てきた具体的な事例は誰しもが理解しやすい統計的に数字で出せるくらいなのだが…数学で出すほどの事でも無いからやらないが心安穏に暮らしていきたいのならば、自分は「他を幸せにする」生き方をお勧めする。

人それぞれ…人間に生まれ、考えるアタマを各々お持ちで有るから、後は自分の人生…

各々でお決め下さい…

で有る。

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