「幸せを追求し自己をいくら肥大させても1の存在は1のままに止まる」
誰しもが現世を生かされている間「自己の幸福の追求と実現」という課題を背負っていると思っている。
自分の人生を振り返ると幸福な状態を実現する為に身近な方が自分に説いた「偏差値の高い学校に入り学を身につければ社会に出ても安泰」みたい事はある意味「ウソっぱち」だったと現在は考えている。
いつも書くが「正解の有る問題の正解までの時間と正確さを競う事」「記憶暗記力のみを競う事」で成り立っている偏差値の数値なんぞ社会に出てから屁の役にも立たない。解まで至るプロセスやその解を次にどう活かす事が出来るかの思考が人間が社会に出た後重要なのだ。
解を活かすにしても自分だけが幸せになる為に使ったところで自分を1とすれば1のままに止まり続ける。どんなに自分を肥大させようが、永遠に幸福感「1」のままなのだ。
人間の素晴らしいところは本当の幸福感を感じる瞬間は他の役に立てたと自覚した時だ。何時までも幸福感1しか感じられないのはその事に気づけないだけの話だ。1を大きくしようと思うならば他に施す事で無限大♾に幸福感は拡げる事は可能だ。
自分は努力しているのに何時までも幸福になれないと思い当たるならば単なる1を肥大させているだけだと自覚すれば良い。