「抱える悩みとは自分で変えられる事の努力不足と誰にも変えられない事を認知出来ない姿でしかない」
悩みを抱えて生きるのが人間という生き物だとつくづく思う。
悩みを抱えいるならば、先ずは悩みの内容を精査する事だと思っている。
悩みは、単純に「自分で変えられるモノ」「自分では変えられないモノ」2つに分けられる。
本当は「自分で変えられるモノ」の中で、いつの間にか自分では変えられないと思い込んでいる事が多かったりするが、判断(選択)する事は人生で唯一自分が出来る事なのだ。そんな事にも気づかず他のせいにしている事自体が自分の人生を愚弄していると思う。人間として与えられた選択の自由を自分自身で否定する姿は滑稽でしかない。その時点では直ぐに変えられない事でも力をつければ先々変えられる事は多々有るが、人間的な力がまだ無いのに変えようとするから悩むのだ。「自分のアタマで少しは考えあそばせ…」で有る。
余談だが、その点でいけば1人の人間として判断し、皇室から飛び出したお嬢さんを自分は評価する。下々の集う餓鬼世界を選んだ後の責任は自分で背負えば良い事だと思う。断絶した宮家なんぞ沢山在る事を考えれば、別に大した事でも無い。
「自分では変えられないモノ」は、過去の出来事…天候…自分以外の他人の心等々…自分では変えられないモノに対して悩んでいる事自体ムダなのだ。若い世代の言葉を借りれば時間的な「コスパが悪い」状態なのだ。悩んでも自分自身で変えられない事は受け容れる。(容れる容器の大きさがその人間のその時点での器の大きさなのだ。)
最近のコロナ祭りなんぞ、空気中を漂うウイルスに色が付いているならまだしも、目に見えないモノに対して恐れおののき疑心暗鬼で不安にかられて悩むくらいならば、自分に出来る、手洗いうがい早寝早起きをして、健康維持に努めるくらいやれば良い事なのだと思っている。
普段からきちんとその2つに分けられるモノゴトの観方、考え方を鍛え続ければ悩む事なんぞ殆ど無くなる。2つをごっちゃにするな❗️って事だ。
なるものはなる…
ならぬものはならぬ…
それくらいの話だ。