宗教法人

来慶山忠暘院

「拡げる事の出来ない脳みそ媒体を拡大しようとするより別の方法を模索する事」令和4年1月4日記

「拡げる事の出来ない脳みそ媒体を拡大しようとするより別の方法を模索する事」令和4年1月4日記

「拡げる事の出来ない脳みそ媒体を拡大しようとするより別の方法を模索する事」

脳みその記憶力は持って生まれたモノだから容量媒体を後付けして増やす訳にはいかない。
自分の場合一度読んだ本を読み返すとまるで初めて読む感覚になる事が多いから容量は大した事が無いと自覚している。多分、記憶に留め記録として正確に残すならば現在使っているiPhoneの方が優れている気がするのでiPhoneに写メで残す様にしているが、後になって何故この写メを残したのかすら判らない事すら発生する残念な記憶媒体なのだ。
与えられた脳みその記憶媒体の容量の少なさを嘆いたところでどうしようも無い事なので、現在自分に与えられた記憶媒体とは別の何かで補足しながら如何に心豊かに人生を謳歌しながら生きるか?を日々考えた。
日々、アホでも何か米粒くらいの事は残るだろうと自分から観て幸せに思える方の書かれた書籍を読み…モノゴトの観方、考え方を学ぶ様に心がけてみた。
いろいろな方々が言われる事を集約し結論からすれば「知った事をとにかく具体的に実践し続ける事」「周囲に対する感謝事」「誠実に生きる事」等々…
殆どの事は子供の頃、聴いた昔噺と重なる事ばかりなのだ。グルグル回っていただけで、そんな事はとっくに知っているつもりになっていた自分に苦笑いするしか無い…
ここのところ知った事を具体的にやってみているが、以前に比べ心穏やかな日々になったと実感する。考えてみれば心にやましい事が無いので、他人からとやかく言われる筋合いも無い事だし、例え言われたとしても言う相手を冷静に眺めれば、自分の事すら何も出来ていない…何も為していない…重箱の隅をつつく様なそんな相手なのだ。そんな輩はそのうち自滅する事を歴史や具体的に周囲を眺め知っているので巻き込まれない様に関わらない事が賢明なのだ。
脳みその記憶媒体の容量を嘆き続けるよりも、それはそれとして素直に認め、自分に出来る別の能力、方法で補足する事を考え実践して磨き続けてみる。
気がつけば自分らしい人格がそのうち形成されている。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。