宗教法人

来慶山忠暘院

「数字で表せる事は実は大した事では無い。刷り込まれた価値観を疑ってみる事」令和4年1月20日記

「数字で表せる事は実は大した事では無い。刷り込まれた価値観を疑ってみる事」令和4年1月20日記

「数字で表せる事は実は大した事では無い。刷り込まれた価値観を疑ってみる事」

誰かが考え出した価値観を刷り込まれ錯覚する事で人生を終える人間が多いモノだと常々思う。特に全てを数値化出来る錯覚なんぞ解りやすいせいか、すっかり価値観に刷り込まれた状態なのだ。

幸福の価値観なんぞ各自各々全く違うのだが、数値化して幸福度世界一の国…そんなデータが出ると挙って取材に走るマスコミの報道が流れ始め、切り取られ創られた情報をさも自分が行って観て来たかの如く語る輩が出てくる姿は滑稽でしかない。

数値化して他と比べている以上、永遠に心からの幸福感を感じる事無く人生を終えると自分は思っている。

大体、家族、夫婦、友人関係なんぞの普段の生活をお互い支え合っている人間関係を数字で表せるのか?って事なのだ。

偏差値の高い◯◯学校を卒業しているからあの人は凄い人間と思っている事自体アホな価値観が入っている事を自覚するべきだ。

その人間そのもののモノの考え方、思考から行っている言動行為が素晴らしくて凄いので在って、その人間が偏差値の高い◯◯学校を卒業しているだけの話だ。その人間の思考や言動行為を数値化出来るのか?って事だ。

いざという時ほぼ役立つ事の無いSNSのフォロワー数なんかより、お互いいざという時、力を貸し合えるリアルな数値化出来ない人間関係を日々構築する方がよほどマシなのだ。

数字で表せる事にはほぼ本当の価値は無い。そんな事に重い価値観を持っている限り数字に縛られ続け本質を見失う事になる。

《オマケ…》
最近起きた傷害事件なんぞ…善理から外れた数字で表せる価値観で構築した曇ったフィルターの様な価値観を持ち、それが正しいと信じ込んでいるたけならばまだしも、その価値観を子供に入れ込むから「善理に気づけ❗️」と子供から仕打ちを受ける事になるのだ。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。