宗教法人

来慶山忠暘院

「日々立派な事を為そうと考え実行するより日々恥ずべき事を考えやらぬ事」令和4年1月31日記

「日々立派な事を為そうと考え実行するより日々恥ずべき事を考えやらぬ事」令和4年1月31日記

「日々立派な事を為そうと考え実行するより日々恥ずべき事を考えやらぬ事」

立派な事をしようと誰しも思うが、日々そんな事を考え実践しながら生きる事はけっこう難しい。

ならば、そんな小難しい事を考えず普段の生活の中で恥ずべき事をやらない事を心がけ実践すれば良い事くらいだと自分は思っている。

恥ずべき事とは単純に「ダサい」生き方なのだ。

自分の力に酔い弱者を虐げるなんて事は恥ずべき筆頭と思うし、権力に媚びへつらうのも論外だ。金で意志を平気で変える…等々…恥ずべき事を考えれば多々有るが、恥ずべき事をやらなければ最終的に自分に残る姿は「恥ずべき事をしない人間の姿」となる。

世の中眺めれば生きる為だと自分自身に都合良く言い聞かせながら、恥ずべき事をやっても致し方無い様な風潮も有るが、恥ずべき事をやれば自分自身が恥知らず人間という事なのだ。

自分から恥知らず人間という事を公表せずともそんな事が身に付いてしまえば常にオドオドするか、少しその事を突かれたならば逆ギレする様になる。

恥知らず人間という人間という言葉すら個人的には認めたくも無いが、そんな輩と信用信頼し合う関係を構築する事は不可だ。必ず先々大きな災いを招く事となる。

何が恥なのかすらも理解出来ない輩が世の中に存在する事も知ってはいるが、こればかりは個々の意識の問題なのだから教える事自体とても難しいと認識はしている。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。