宗教法人

来慶山忠暘院

「最後に頼りに出来るのは自分が人生の時間をかけて練り上げた自分自身の人間性だと知る事」令和3年12月11日記

「最後に頼りに出来るのは自分が人生の時間をかけて練り上げた自分自身の人間性だと知る事」令和3年12月11日記

「最後に頼りに出来るのは自分が人生の時間をかけて練り上げた自分自身の人間性だと知る事」

机上で身につけた学はあくまで過去の出来事の集大成なのだ。動かす事の出来ない道理も有るが人の世の中は常に躍動しながら変化している。

兎角、自分はアタマが良いと思い込んでいる輩は机上で学んだ事に頼りがちになるが躍動しながら変化している事柄については殆ど役に立たない。

現代社会だと普段の日常生活でさほど困る事は発生しないが人生一生順風満帆という事はあり得ない。ニッチもサッチもいかない事が起こる。その時試されるのは日々練り上げてきた各自個々の心持ち胆力、人間性なのだ。

日頃先生と呼ばれ偉そうにしている輩が今回のコロナ騒ぎでどさくさに紛れちゃっかり助成金なんぞを懐に入れていた姿なんぞを観たり、金や声の大きさくらいで成り上がった権利者が逆風に晒され狼狽える姿なんぞ眺める度、虚像を観せ世の中を欺いたところで削いだ実像はそんなレベルだと呆れてしまう。

銭を尊ぶモノは銭で転び、他を潰しながら成した権力は権力への妄信から来る驕りで転ぶ…

最後に試され残るモノは練り上げてきた人間性だけだ。日々人間を磨き練り上げていれば何に対しても恐れおののく事も無く対処出来る。

自分自身で出来る事だから1円もかからないまことにリーズナブルな事だ。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。