「最終的にやるか、やらないかだけのの話。人間各々に唯一自由に与えられたモノは選択判断と知る事」
各自各々、人間が唯一行使出来るのは選択判断行動なのだ。
起きている間1日中細々な事を含め取捨選択を繰り返しながら判断を下し行動していると常々思う。
本来人間平等に与えられたその「自分自身で唯一出来る選択判断行動」こそが自分自身の人格を練り上げる源となる。
些細な事でも自分自身で意味を考え取捨選択し判断行動し続ければ、最初はワンテンポ遅れる事になってもそのうち自分の中で蓄積され瞬時に的確な取捨選択、判断行動が出来る様になる。その行動の意味を尋ねられてもきちんと説明も出来る。
日々怠惰、おざなりに何も考えず他からの命令を嫌々行動に移し繰り返している人間が殆どだが、きちんと自分自身で取捨選択し行動を繰り返してきた人間との差は時間経過と伴に歴然と拡くのが道理というモノだ。
但し気をつけなければならない事は取捨選択判断行動する時、自分を優先させる意識を持つとそのうち自己中となり自滅する事となる。常に意識するのは自分の最終的に下された判断に基づく行動が公的な他の利益を中心に組み立てられている道理に沿っている割合を高められる事が大切なのだ。
唯一自分で決める事の出来る、選択判断を他に対する特に公の利益を優先した判断基準を高めながら、日々その判断基準に沿った生き方を基にして取捨選択、判断行動を繰り返し続けていけば人格が高まり続ける。
悪いが本来自分自身で決められる取捨選択判断行動に基づく結果で有る私的な困り事なんぞ本来、各自各々で解決すべき問題なのだ。(問題が発生する事自体、自分自身の思考が道理から外れているに過ぎない事に気づかない事には無理だが…)
日々、人格を磨き上げる事自体、1円の金なんぞかかる訳でも無いし自分自身で出来る事なのだ。生きる為に金が無いと死ぬ…そんな言葉を聴くが、周囲を大切にしながら自分自身の人格を日々磨き上げさえしていれば周りの方々に生かして貰える様になる。
人格者が飢えて死んだ話なんぞ歴史書で読んだ事も聴いた事も無い。