宗教法人

来慶山忠暘院

「有限の人生を愉しむ妙薬とは、善き人と良縁を深める事に尽きる」令和3年12月7日記

「有限の人生を愉しむ妙薬とは、善き人と良縁を深める事に尽きる」令和3年12月7日記

「有限の人生を愉しむ妙薬とは、善き人と良縁を深める事に尽きる」

人間は良しも悪しきも時間を共有した相手の空気感に染まる。釈迦や祖師と呼ばれる方々も戒められているのに単なる凡夫で在る自分が例外で在る訳で無いと思っている。
自分自身の心を磨く事をおざなりにしながら、邪氣に満ちた中に身を委ねていた頃、「人生とは修行で日々精も魂も尽きる事が当たり前」と思っていた。
現在(いま)振り返れば自分自身の心の在り方が周囲にそのまま表現されていただけの事だったのだのだ。「類友よろしく…」とは本当に的を得た言葉と思う。
忠暘院に掲げる「幸せになるでは無く、幸せにする人が集う場所」という最初の想いとは裏腹に「忠暘院を使い自分が幸せになる」そんな心を持つ輩が集っていた昨年までは地獄の様な日々だったが、産みの苦しみとはそんなモノだろうと現在は思う。
現在周囲を善き人ばかりに囲まれ日々心穏やかに過ごせる様になったのは少しずつでは有るが日々善を意識して生きている事が具現化して現れてきている姿だと判断している。
昨晩、以前からお付き合いの有る、日々自分の生き方、役割りを意識し精進している善き人が営む店で、新しくご縁が出来た方を含め旧知の善き方々と良縁を深める事が出来た。
邪な心を持つ輩と無理してまで同じ空間に身を置き邪な観方考え方の影響を知らず知らずのうちに心身に受けるより、極力善き人と同じ空間に身を置き有限な人生の時間を過ごす事。
それこそが人生を愉しむ妙薬なのだと自分の人生の体験を通じて学んだ事で語れる事だ。

 

 

 

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。